一般社団法人 コ・イノベーション研究所

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by 橋本 大佑(はしもと だいすけ)

【雑記】自転車の転倒事故、映画『RRR』などなど

最近よく考える、至極個人的なことを書いています

 
今日は疲れ気味で通常は2時間半の移動経路に4時間以上掛かっています。Facebook(ブログ)の投稿はいつも仕事ができない移動時間にしています。スマホからなので誤字脱字も多いのですが、まじめに更新をするようになって2年が過ぎたので、加筆修正をして「note」にまとめようかなと考えていたりします。
 
いつもは障害に関する時事ネタにコメントしているのですが、このFacebook(ブログ)投稿は最近よく考える至極個人的なことを書きます。内容を見ると心配する人もいるかもしれませんが、僕自身は安定した状態でいますので、心配なさらず。
 
ということで、2か月前の自転車の転倒事故の話です。地面に空いていた大きな穴に突っかかって、ロードバイクから前方に転倒しました。ロードバイクの前方転倒は頭部挫傷や首の骨へのダメージがあるので、死亡することもありますし、頚髄損傷を受傷することもあります。有名なのは元自民党総裁の谷垣禎一さんですね。皇居周りを自転車で運動中前方に転倒して頚髄損奏者となりました。
 
そういう知識もあったので、目の前の避けられない距離に穴があるということが分かった瞬間に「やばい、どうしよう」とパニックになりました。実際に穴に突っかかってから地面に衝突するまでは1秒もなかったと思いますが、体感では5秒くらいに時間が引き延ばされたように感じました。
 
この感覚は一生で一回体験しています。高校時代、バスケットマンだった時に公式戦で相手選手のシュートをゴール下でバレーのアタックのようにブロックしました。ブロックをして着地する前にボールの行方を見たら、スローモーションのようにサイドラインに向かって動いているのが見えました。「あんなにゆっくり動いているならキープできるのでは」と思って着地と同時に体を動かし、サイドラインに向かってダイビングしました。身体はコートの外に出ましたがボールには手が届いて味方にパスをしてボールをキープできました。
 
これは一昔前の表現だと「ゾーン」ってやつですね。周囲がスローモーションのように見えて、その引き延ばされた時間の中で動ける感覚です。思い返してみると周囲のスローモーション化現象はバスケのプレー中には何度かありますが、このブロックの時が一番体感時間が長かったです。
このゾーンは、本来であれば「《五感で現在の情報把握》→《収集した情報を元に表層意識で判断》→《身体に指令を出す》→《身体を動かす》」というある程度時間がかかる過程をあり得ないくらい短い時間で体験するということなのかと考えています。
 
さて、2か月前の自転車事故の時、同じように時間が引き延ばされた体験をしました。表層意識では「やばい、どうしよう」という感情があったことは覚えています。そのままハンドルを握っていると前方向に回転して頭から落ちてしまいます。僕の表層意識は「やばい」としか感じていなかったのですが、僕の無意識は危機を回避するための指令を身体に出しました。穴に突っかかるとほぼ同時だったと思いますがハンドルから手を離し、身体を回転させず、地面と水平になるようにコントロールしました。また手を前に出し、身体を若干左に捻ることで、手を地面に付いた後、顔面を地面にぶつけることを避けました。
 
高校時代と違うことは、引き延ばされた時間の中で僕の表層意識は何も能動的なアクションをしなかったことです。「ヤバい」と思いながら「どうしよう」とパニックになっていました。普段からスポーツ指導をするときにも、特に初心者の場合には、意識できる領域よりも無意識の領域にどうアプローチするかが大事だと思っているのですが、僕は転倒事故のとき、自分の無意識に救われたわけです。僕の無意識は「怪我の状態を最小化し、後遺障害が残らず生きよう」としたわけですね。
 
さて、時間がゆっくり流れていたので地面にぶつかる瞬間に手が先に付くということは知覚しました。それと同時に衝撃は手だけで抑えられないこともわかってしまいました。つまり身体を左に捻っているので、左の側頭部を固いアスファルトにぶつけるということです。事故のとき、僕はたまたまヘルメットをしていました。家から近所の飲食店に遅い昼ご飯を食べに出かけたときでした。ロードバイクに乗るとき、近場に買い物に行くときはヘルメットを付けることはありません。スピードもそんなに出さないからです。

これはADHDが原因なのですが、1時間以上かけて20㎞以上サイクリングするようなときはヘルメットは必要なのですが、よく付けるのを忘れます。ヘルメット、グローブ、サイクルパンツの3点を全て揃えてサイクリングに出られることはほとんどありません。どれかを付けている間に他のものを付けるのを忘れてしまう感じです。普段からそんな感じなので、事故にあった瞬間、僕はヘルメットを付けていることを完全に忘れていました。付けていないと思っていました。
街乗りでスピードが出ていないと言っても15㎞/hくらいは出ていたはずで、僕の100㎏以上の体重が掛かります。不十分な体制で手を付いただけでは衝撃は吸収しきれないことが、手を地面に付いた瞬間にわかってしまいました。そこで僕は「もうダメだ」と思って「脱力」してしまったんですね。

時間が引き延ばされた状態は、信じられないくらい短い時間で表層意識の判断を身体に伝えて実際に身体を動かせる時間です。頭を守るように首を曲げたり、もっと身体を左に捻って衝撃を逃がしたり、そういう行動を取ることができたはずなのですが、僕の表層意識は「能動的な行動を取ることを諦めました」。
結果としてヘルメットをしていたので、脱力した後は、来ると予想していた側頭部への衝撃が来ず、痛みもありませんでしたし、頭部や顔面へのケガもありませんでした。

普段しないヘルメットをしていたり、無意識に身体を動かせたことは神様の思し召しだよと何人かに言われました。小指を骨折したり、今も最初に衝撃を受け止めた両手首の痛みは取れないのですが、車いす講習などの研修には大きな影響は出ていなくて、実際にケガをした次の日には岩手で研修もできていたりと、最悪の状態もあり得た事故からは想像もできないくらい影響は小さく収まっています(もちろん不都合はいっぱいあります)。そういうところは人知を超えた何かを感じてしまうときはあります。

ただ、この瞬間以来、「なぜ自分の表層意識は命の危険に際して能動的な決断と行動を起こさなかったのか」ということが自分の中にずっと引っ掛かっています。人のことは行動観察や会話を通して見ていくことはできますが、自分は客観的に見えません。そのため、ごくごくまれに突発的な時に表に出てくるコントロールされていない自分は分析のためのよいサンプルです。

今回のテーマは、極論ですが「なぜ自分の表層意識は生きようと足搔かなかったのか」ということです。これが自分としてはかなりショックだったんですね。「死」を望んでるわけではもちろんないんです。だけど、あの時何で脱力することを許容したんだろうとは思うわけです。

確かに自分の中には「今まで十分頑張ってきたよな」という自分がいます。「橋本さんと会って、障害を受傷してから一番ポジティブでいられます」みたいなことを言ってくれる人、結構いるんです。有難いことです。人間一人分の一生としては、そんなことを言ってくれる人が一人でもいれば十分生きてきた役割は果たせているのではと思います。
7年くらい前からいろんなところで人材育成にも携わってきましたが、彼らの中にも活躍してる人が出てきていますし、恐らく彼らの中にも僕と同じセリフを言われている人もいると思います。そういう意味では、ADHDという障害も抱えながら「よくここまでやってきたよな」と思っている自分が間違いなくいます。特に障害受容してからは強迫観念的な使命感もなくなっていますしね。

まとめサイトを見てちょっと腑に落ちました

そんなことをたまに考えたりしながら、この2か月を過ごしてきました。先週、まとめサイトTogetterで映画『RRR』に関するまとめを見て、ちょっと腑に落ちた感じがしました。『RRR』は皆さんご存知最高の映画です。わかりやすい派手なアクションが目につきがちですが、インド国民の心に根付くラーマーヤナとマハーバーラタに基づいた王道のストーリーですね。

2人いる主人公のうちの一人ラーマは、多くの人から託された使命を果たすために、臥薪嘗胆しています。倒すべき敵の懐に入り込み、目的を果たすために出世しないといけないので、敵の望む理想的な兵を心を殺して演じています。周囲にいる者は誰も信じられず、1人で全てを抱えます。そんなラームが毒蛇に噛まれてしまうシーンがあります。中盤の山場です。その段階でラームに使命があることは明らかにはされていないのですが、心に何かを秘めて苦汁をなめながら機会を待っているのは伝わってきます。そんなラームが毒蛇に噛まれた時、最初は抗うんですよね。でも、一瞬それを受け入れるような穏やかな表情をするシーンがあって、それは鑑賞中の大きな違和感でした。

Togetterのまとめには下記のような解説があります。(以下、引用です)

「インド人って基本的にひとりで行動しないよ。いつも友達や仲間、家族と一緒だね。日本人みたいなひとりの旅行や食事はインドではふつうじゃないよ。寂しいからね。ビームには仲間いたし仮の家族もいたけどラーマにはババイだけ、友達もいなかったね。ラーマはたくさんのことを犠牲にして使命のためにひとりで生きてた。だからアクタルの存在はオアシスだったはずだね。でも苦しくても使命は捨てられないものだから、蛇に噛まれた時は解放されたの気持ちもあったかもね」
(引用ここまで)

見知らぬ登場人物がいた方は是非映画を観てください。インドの文化を理解すると『RRR』がより深く理解できるようになるというのはいろんな解説で言われていたことですが、上記の視点は目から鱗でした。

つまり「使命のために1人でいる選択をするって辛いことなんだよ」ってことです。障害者スポーツで生計を立てると心に決めたのが14年前です。その後は安定した生活をすることや、家族や友人と過ごす時間も犠牲にして突っ走ってきました。

夢(仕事)と生活という2つを両立させることはできないと無意識に考えていたのだと思います。それまで「何かを実現したいけど実現できない」をたくさん繰り返し、そこにはコンプレックスもありました。このことには2年前にADHDの診断を受けた直後に気づきました。ADHDの特性として「マルチタスクができない」ということがあります。だから、目標を追いかけることに集中して無意識に他方を切り捨てていたということです。

今回、このTogetterを見て気づいたことは、そんな「お一人暮らし」って辛いよねってことです。自己の中にある弱さを自分で認めるって結構エネルギーのいる作業なので、これを認められたことは僕にとって前進です。使命に向かって一人で突っ走ることは大変辛いことだと、あの超人ラームですら心が折れたんだから。

僕は彼のように超人ではなく、多くの人から使命を預けられているわけではありませんけど、そう考えると自分の弱いところを受け入れる勇気をもらった感じがしました。事故から2か月結構悩んでたのですが、向かうべきゴールが見えた感じはします。ということで長文でしたが、最後まで読んでくれた方は是非お茶でも誘ってください。

(外部リンク)
Togetterまとめ
インド人の友達が語ったRRRの分析に思わず涙ちょちょぎれた「インド人は基本的に一人で行動しない。だから…」
https://togetter.com/li/2226956?
 
 

この記事を書いた人

橋本 大佑(はしもと だいすけ)
筑波大学で障害児教育を学んだ後、渡独して現地日系企業(THK株式会社)に勤めながら障害者スポーツを学ぶ。2009年に帰国し、障害者の社会参加を促進するためのスポーツを活用した事業を実施。2016年より現職。国内外で共生社会や障害者スポーツ指導者養成に関わる講習を行う。また共生社会の実現に向けて企業を対象としたセミナーやコンサルタントも行う。
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