一般社団法人 コ・イノベーション研究所

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by 橋本 大佑(はしもと だいすけ)

「障害は授かり物」という発言について

【「障害は授かり物」という発言をどう捉えますか?】

*例によって特定の人物を誹謗中傷する意図はありません。リンク先にはお名前は出ていますが、この投稿では伏せさせていただきます。

長崎県の講演会である障害当事者が、自身の義足を示しながら下記のように語ったそうです(以下、記事からの引用)

「差別の中にある比較」をテーマに講演し、

事故で障害を負ってからの経験と出会いを振り返り「障害は授かり物」と語った。

(中略)

「障害がもたらしたデメリットよりも、多くの人と出会う機会となったメリットの方がはるかに多い」と出会い支えられた人たちに感謝の気持ちを表し、

「自分とは違う相手の人間性や個性を尊重してほしい」と呼びかけた。(引用ここまで)

(外部リンク)
「障害は授かり物」 長崎県車いすバスケ協会・川崎会長講演 長崎市人権教育研究会が総会▷https://nordot.app/1043345226445111452

この発言から思うこと

長い講演の中からの切り抜き発言だと思うので、全文を読んでみないとこの発言の真意はわからないです。また、話者が個人としてこういった感想を持っていることを否定はしません。

ただ、この講演会自体は、障害者への偏見を緩和する目的で開催されていると思いますので、このアプローチが果たしてその目的を達成するものであるかというところを分析してみたいと思います。

以前から何度も書いていますが、価値があるのは障害ではなく、常にその人自身です。

残念ながら、今の日本では障害があることで使えるサービスや商品が限定され、その事によって一般的な障害者には多くの機会損失が生じています。

そういった状況の中で創意工夫をし、自身の身体にある機能制限と向き合って社会生活をおくっていくことには、多くの困難が伴います。

そのため、僕は、障害があって社会生活を送れている人はすごいと尊敬を持って接します。
なぜなら、目の前にある多くの現実に心が折れて一歩踏み出せない人がたくさんいるからで、そちらの方がスタンダード(多数派)だと考えているからです。

ですから、この話者の方が障害を受傷してからのメリットが大きいという話からは、この方の努力やポジティブな人間性を感じ、すごい人だなと思うわけです。
しかし、障害は授かり物という言葉からは、障害それ自体に価値があるという印象を受けます。

心のバリアフリーで最も重要な要素の社会的モデルの理解

社会モデル
心身の機能制限ではなく、特定の心身状況にある人が機会制限を受ける社会自体に障害があると考えるのが、社会モデルです。
下半身麻痺で車いすを利用する人が街中の段差で、その先にあるお店に入れないとき、段差が障害であると考えるのが社会モデルです。

個人モデル
下半身麻痺であったり、車いすユーザーであったりすることが障害であると考えるのが、個人モデルです。

上記の記事でコメントをした話者にとっての障害とは、足の切断です。
この視点で考えると、「障害は授かり物」という言葉の障害が、医学モデルであることがわかります。

つまり、現在心のバリアフリーで最も大事な要素とされている社会モデルの理解が前提としてできてないんですよね。
そして、話者だけではなく、講演企画者や記事を書いた記者でさえも、社会モデルということを理解していないわけです。なので、これは話者だけの問題ではありません。

一番の問題は、障害に対する差別の解消や障害理解の文脈で講話をする人が教育を受ける機会がないことです。

例えば、障害の社会モデルを伝える障害平等研修という研修では、障害者自身がファシリテーターとなるための研修を受け、少人数で最低3時間程度の対話を通して社会モデルを伝えていきます。

専門の研修を受け、決まったカリキュラムがある研修でもこれくらいの時間を取ります。
僕は、大学で教員になるための単位をとっていましたが、かなり多くの単位を追加で取得しました。学校の先生になる人は生徒の前に立つためにそれなりに教育を受けています。

何故か障害について語る場合にはこのハードルがなくなります。
障害の問題はジェンダーに置き換えて議論するとわかりやすいので、この件も置き換えてみます。

僕は男性として、43年生きてきました。それでも「明日女性たちの前で男性について1時間講義してほしいと」と言われたらそれは無理です。
同じように、例えば、男性に対して女性の権利について1時間講義をするには、それなりの知識や経験が必要で女性なら誰でもできるわけではありません。

このように自身に紐付く属性について目的を持って講義をするには、その属性で生きてきた経験だけでは無理なのです。
東京オリンピックパラリンピックに伴い、パラリンピアンの講演の機会は増えましたし、パラリンピアンでなくとも障害当事者を話者に迎えて行う授業も増えています。

全てのパラリンピアンに障害の社会モデルが何で、それをどう伝えるかの研修を受けさせることは難しいと思います。

しかし、講演をする中で自分がやっていることに疑問を感じた時に、学んだり相談したりできる仕組みが必要だと感じます。
最低限、授業の達成目標に向けて論理的にカリキュラムが組めるくらいですかね。

それでなければ、パラスポーツを通じて、よりインクルーシブな世界を目指すパラリンピックムーブメントのビジョンを理解できるよう教師向けに制作された国際パラリンピック委員会公認教材「I’m possible」使うこともいいと思います。

(その他、関連リンク)
国際パラリンピック委員会公認教材『I’mPOSSIBLE(アイムポッシブル)』について
▷https://www.parasports.or.jp/paralympic/iampossible/

この記事を書いた人

橋本 大佑(はしもと だいすけ)
筑波大学で障害児教育を学んだ後、渡独して現地日系企業(THK株式会社)に勤めながら障害者スポーツを学ぶ。2009年に帰国し、障害者の社会参加を促進するためのスポーツを活用した事業を実施。2016年より現職。国内外で共生社会や障害者スポーツ指導者養成に関わる講習を行う。また共生社会の実現に向けて企業を対象としたセミナーやコンサルタントも行う。
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