一般社団法人 コ・イノベーション研究所

各種お問い合わせはこちらから

お問い合わせ お問い合わせ
お問い合わせ

by 橋本 大佑(はしもと だいすけ)

可愛そうな話ばかり求められる違和感について

 
 

障害を感動を引き起こすための悲劇として取り扱う違和感

 
 
ウェブマガジンで、あるインタビュー記事を見つけました。
インタビューを受けている方自身は障害はないのですが、ご両親が聴覚障害とのことです。職業柄よくインタビューを受けるそうですが、「かわいそう・不幸」なエピソードを求められ、自身の記憶の大部分を占める「幸せ」なエピソードはあまり求められないそうです。
 
しかし、他者から求められる中で不幸なエピソードを語る中、ある時友人から「自分を求められている物語に押し込めるのは危ないよ」と言われ、いろんなことに気づき、考えていくことになるという感じです。長めの記事ですが、ハッとした人は是非ご一読いただければと思います。
 

(外部リンク)
「可哀そうで悲惨な話ばかり求められる」違和感。障害者の子供には困難も幸せも存在する | インタビュー
人生、おしゃれ、そしてこれから | mi-mollet(ミモレ) | 明日の私へ、小さな一歩
https://mi-mollet.com/articles/-/42636
 
 
記事内にもありますが、障害に関わるエピソードは感動を生み出すために消費されることがよくあります。
僕自身もあるパラリンピアンの学校での講演の打ち合わせに立ち会ったときに、校長先生が「障害者が大変で困難な状況で工夫しながら頑張ってるっていう話はいいんだよね」と面と向かって言われ、困惑したことがあります。
  
つまり、その校長先生は可哀そうで不幸な状態にある障害者が(この前段にある差別は無意識下にあったりしますが)、その状況で頑張っていることをこどもたちが聞くことで、「障害のないあなたたちも頑張りなさい」と伝えたいわけで、そのために、障害のある人の本来は心の中に置いておくはずの大切なエピソードを「消費」しているわけですよね。
そして、スピーカーとなる障害者自身も、他者から求められるものを満たすことで、必要とされる自分を感じることができますので、ちょっとした共依存の関係性が成り立つわけです。
 
 

解決策は障害の有無に関わらず、ひとりの人間として尊重すること

  
 
メディアにももちろんこの傾向はあって、特にスポーツ分野では、苦難を乗り越えて成功というストーリーは好まれますから、障害者スポーツのアスリートは、メディアが考える理想のストーリーを作りやすい素材とも言えます。
こういった悪循環は全て障害者への無意識の偏見を高める方向につながっていきます。解決策は障害の有無に関わらず、ひとりの人間として尊重することなのかなとは思いますね。

こういったインタビュー記事が長文で紹介されることで障害との向き合い方を考え直してくれる人がいればいいなと思います。
 
 

この記事を書いた人

橋本 大佑(はしもと だいすけ)
筑波大学で障害児教育を学んだ後、渡独して現地日系企業(THK株式会社)に勤めながら障害者スポーツを学ぶ。2009年に帰国し、障害者の社会参加を促進するためのスポーツを活用した事業を実施。2016年より現職。国内外で共生社会や障害者スポーツ指導者養成に関わる講習を行う。また共生社会の実現に向けて企業を対象としたセミナーやコンサルタントも行う。
戻る