一般社団法人 コ・イノベーション研究所

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二色覚の方が見やすい救急車だそうです?

日本には赤色と緑色の区別が付きにくい見え方の人が約300万人いると言われていますが、この青い救急車はそういった方が視認しやすいように作られているそうです。

人間の目には赤色、緑色、青色を認識する細胞があるのですが、この3つを有している人を3色覚、どれか2つ(ほとんどのケースでは赤色か緑色のどちらかが認識できない)を有している人を2色覚(いくつかのパターンがあります)と言います。
 
 3色覚に対して2色覚が能力が低いというわけではなく、異なる見え方をしているだけなので、色弱や色覚異常、色覚障害ではなく、最近では色覚多様性と言ったりします。
2色覚の中の多くの方は赤色と緑色の識別が難しいです。信号の緑色と赤色、焼き肉が生か焼けているか等、特定の色の組み合わせが判別しにくいわけです。
  
さて、ここで今回の救急車について考えてみます。間違っているところがあったら是非ご指摘をお願いします。
  
【1】「そもそも救急車って見にくいの?」
白い車体に赤いランプなので、見にくいということはないと考えます。もし、救急車の車体が緑色や茶色だとしたら「見にくい」というのは納得しますが、白地に赤色は判別できると考えます。
  
【2】「では何故青色の救急車ができたのか?」
ここからは推測です。例えば、「人間の目には赤色、緑色、青色を認識する細胞が別々に存在しています。そのうち、赤色を認識する細胞がない方が多くいて、青色を認識する細胞がない方は2色覚の少数となります。」という理解をした方が、「赤色が見えにくくて青色が見えやすいなら、青色でデザインをしよう。1ヶ所だけ色があるだけだとわかりにくいから全体的にインパクトのあるデザインをしよう」と考えて青色の救急車をデサインした、というような背景があるのでは、と考えてしまいます。
  
【3】「デザイナーに原因があるか、発注側に原因があるか?」
これは、現場でしかわかりませんが、「こういうデザインにすると2色覚の方も見やすいですよ」とデザイナーさんからアイデアを持ち込んだのでなければ発注側の責任とは思います。
 
ドイツにいた頃の話ですが、イタリアのトムトムという会社のカーナビをドイツに住んでいる日本人はよく使っていました。何故かというと日本語の音声に対応していたためです。ただ、その日本語がおかしくて「後300mで右に曲がりました。」とルート案内が全て過去形でした。この音声はイタリアに住む日本人男性が行っていたのですが、当時その人がラジオか何かでその録音の背景を話していました。
 
スタジオに入って原稿を見たとき、日本語がおかしいことがすぐわかって、トムトムの担当者に指摘したらしいです。しかし、既に決裁された文章だからということでそのまま読まされたそうです。何が言いたいかというと、この場合責任は発注元にありますよね。
 
だから、今回の青い救急車の件も責任はデザイナーではなく、発注側にあります。
 
【4】「全ての場面で当事者不在という問題」
僕の認識が間違っていなければ、この救急車は特定の見え方をする人に対する視認性を上げることはありません。
 
消防庁が色覚多様性とその抱える課題を理解し、それを解決するためのデザインを発注し、デザインを採用して実際に実写を作成する全ての段階で多くの人が関わったであろうにもかかわらず、その中の誰も実効的な疑問を提示することなく、車両が完成してしまいました。
 
また、このニュースは毎日新聞の記事ですが、完成した車両を展示し、広報を行った消防関係者だけでなく、メディアもこの車両が2色覚の方に見やすいということに疑問を感じなかったわけで、僕としてはこの一連の過程で誰も疑問に思わなかったのかということの方が恐怖です。
 
私たちのことを私たち抜きに決めないで、というのは障害者権利条約の基本理念ですが、全ての過程で当事者がいなかった可能性があります。それより怖い想像は、実はこの過程には障害者がしっかりと関わっていたが、意見を通すことができなかった可能性や、もしくは関わっていた当事者が障害者というだけでそのポジションにいて自己の障害以外については深く勉強しておらず、適当なアドバイザーとして機能していたパターンです。
 
どちらにせよ、このニュースはいかに実効的なユニバーサルデザインをすることが難しいかという教訓だと捉えます。
 
(外部リンク)
白よりも目立つ「青い救急車」を開発 「色覚障害でも見やすく」 | 毎日新聞 (mainichi.jp)
https://mainichi.jp/articles/20230412/k00/00m/020/019000c

この記事を書いた人

橋本 大佑(はしもと だいすけ)
筑波大学で障害児教育を学んだ後、渡独して現地日系企業(THK株式会社)に勤めながら障害者スポーツを学ぶ。2009年に帰国し、障害者の社会参加を促進するためのスポーツを活用した事業を実施。2016年より現職。国内外で共生社会や障害者スポーツ指導者養成に関わる講習を行う。また共生社会の実現に向けて企業を対象としたセミナーやコンサルタントも行う。
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