一般社団法人 コ・イノベーション研究所

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by 橋本 大佑(はしもと だいすけ)

3.11の日に想うこと

今日はふれあいランド岩手で14時46分に黙とうしました。

以前もFacebookで書いたと思いますが、2006年に内戦のあった旧ユーゴ地域を2週間ほど掛けて旅行したことがあります。ボスニアヘルツェゴビナのモスタルという街で、演劇をしている若者たちと同じ民泊で仲良くなりました。

その時に彼らが言っていたのは、「海外からのメディアがいつまでも僕たちを戦争の被害者として取材に来るから、内戦を乗り越えて僕たちが前に進もうとすることを許してくれない」ということです。

これは今でもよく思い出す言葉ではあります。ですので今日も「忘れてはいけない」という言葉をよくテレビや紙面で目にしますが、「前に進む」ということも大切でそのバランスは難しいなと思います。

さて、7年近く福島、宮城、岩手に関わらせていただき、訪問回数は50回を軽く超えると思います。そういった経験や、いろんな障害当事者の方の話を聞いた経験、内戦後の旧ユーゴを周遊した経験から、震災、戦災、障害受傷には共通点があると感じています。

それは、「当たり前だと思っていた日常が、自身がコントロールできない大きな外的な力によって、破壊されてしまうこと」と、「その状況を(ある意味)一旦受け入れて前に向いて進んでいかなければならないこと」です。

事故や病気等による突然の障害受傷、突発的に始まる戦争や自然災害によって、当たり前だと思っていた日常が送れなくなり、不可逆的な新たな日常に適合して行かないといけないという点で、この3つには類似点があります。

ここで大事なことは、障害者スポーツは1945年にグッドマン卿がストーク・マンデビルでリハビリにスポーツを取り入れて以来、障害のある人のエンパワメントや、社会との関係性を改善するための装置として機能してきた歴史があるということです。

構造的に同じであれば、突発的な事象によりトラウマを抱えた方をエンパワメントし、社会との接点を作っていくための障害者スポーツのノウハウが戦後復興や震災復興でも使える、というのは僕の中で確信に近い感覚です。

震災発生時の避難所での健康維持、ストレス解消、トラウマを解消するきっかけとなるエンパワメント、新しいコミュニティの形成、全て障害者スポーツがこれまでに蓄積してきたノウハウで対応できると思います。

今は忙しくてなかなか手が回らないですが、これはライフワークとして取り組めたらなと長年思ったまま実行できていません。3.11が来るたびに、日本で大きな自然災害があるたびに、そして世界で戦争や内戦が起こるたびに、障害者スポーツが貢献できるのに、と感じます。

こういう話は縁なので、進むときには一気に進みそうな気もしますが、そんなことを3月11日に岩手でしみじみ考えました。

この記事を書いた人

橋本 大佑(はしもと だいすけ)
筑波大学で障害児教育を学んだ後、渡独して現地日系企業(THK株式会社)に勤めながら障害者スポーツを学ぶ。2009年に帰国し、障害者の社会参加を促進するためのスポーツを活用した事業を実施。2016年より現職。国内外で共生社会や障害者スポーツ指導者養成に関わる講習を行う。また共生社会の実現に向けて企業を対象としたセミナーやコンサルタントも行う。
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