一般社団法人 コ・イノベーション研究所

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by 橋本 大佑(はしもと だいすけ)

自身を無条件に受け入れてくれる存在の不在

自身を無条件に受け入れてくれる存在の不在

※このブログは2022年6月30日のFacebookの投稿に加筆修正したものです。

Facebbok上の動画へのリンク:脱毛症で頭髪を失った娘と父がコミュニケーションを取る動画です
https://fb.watch/dYMROkFZ1w/

悲しいことがあった女の子がママにひどいことを言って(何を言ったかは直接は動画内で語られませんが)、その後、パパとコミュニケーションを取る様子です。

どうしたらこんな会話が動画として残せるのか(だれがどんな意図で撮影したんだ)という余計な背景の邪推は取り合えずおいておいて、僕はあんまり好きな言葉じゃないのですが「母原病」にならない両親を持つ幸運の瞬間をとらえた映像と思います。

母原病は名前が悪いので母親が子育て下手でこどもが様々な心理的課題を抱えるような文脈でも使われますが、いろんな文献がありますが、僕が解釈として捉えているのは、「自分がいい子であろうと悪い子であろうと、絶対的に自分の存在を無条件で肯定してくれる存在の不在」によって起こりうるものであり、原因は母親だけではありません。なので現象としては現実に存在しますが、この母原病という言葉はすごく嫌いです。
さて、動画内では脱毛症によって頭髪を失った娘が、父親とコミュニケーションを取っていく様子が移されています。先ほど述べたような存在としての両親を持つことは「幸運」であると最近読んだ本にも書いてあり、大変共感をしました。

彼女は母親にひどいことを言ったのでしょう。でもそれは彼女の本心ではなく、きっと心の中では自分の悲しみを受け止めて一緒に味わってほしかったんだと思います。そして、それは母親には残念ながらできなかった。父親ももちろん心理カウンセラーではありません。なので、「ママになんであんなことを言ったの」と問いかける場面があります。これは、彼女にとっては否定の言葉なので、会話がそこで終わったとすれば、彼女は頭髪を失った自己の悲しみを両親の双方と共有できなかったことになり、その悲しみを自分の心の中の見えない引き出しにしまって、無表情の仮面や、場合によっては可哀そうという同情の眼で自分を見る両親から自分の心を守るために笑顔の仮面を作って、心に大きな壁を作って生きていかないといけなかったかもしれません。

彼女に合わせて髪の毛を剃るという父の行為は決して合理的ではありません。ただ、それを提案したときであったり、実際に父親が行動を行った時であったり、ともにその作業を行ったことであったり、そういった場面における彼女の表情を見ると、人の心と向き合うということは、専門的なテクニックがあると効率は上がるかもしれませんが、本質的なところは愛情がどこまで伝わるかということなのかなと思ったりします。
日本語字幕に英語の細かいニュアンスが入ってないのが本当にもったいないですが、是非最後まで見るのをおススメします。

この記事を書いた人

橋本 大佑(はしもと だいすけ)
代表理事
筑波大学で障害児教育を学んだ後、渡独して現地日系企業(THK株式会社)に勤めながら障害者スポーツを学ぶ。2009年に帰国し、障害者の社会参加を促進するためのスポーツを活用した事業を実施。2016年より現職。国内外で共生社会や障害者スポーツ指導者養成に関わる講習を行う。また共生社会の実現に向けて企業を対象としたセミナーやコンサルタントも行う。
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