聴覚障害のある女性が主人公の小説、乃南アサ著の「鍵」を読みました
聴覚障害のある女性が主人公の小説、乃南アサ著の「鍵」を読みました
※このブログは2022年6月26日のFacebookの投稿に加筆修正したものです。
直木賞作家の乃南アサさん
26年前に発売されたこの小説を、今読もうと思ったきっかけは主人公が聴覚に障害のあるキャラクターだったからです。
元々乃南アサさんはすごく好きな作家で、最初に読んだのは直木賞を受賞した「凍える牙」でした。張り詰めた緊張感の演出が新鮮で人間模様にもミステリー要素にも引き込まれました。続編の「鎖」では女性主人公の音道警部が強姦未遂にあうシーンがあるのですが、体中の鳥肌が止まらず、どれだけそれが怖いことなのか、読後15年経った今でも鮮明に思い出せるような読書体験をしました。
読書前に気になったこと
そんな乃南アサが聴覚障害のある主人公を描いたということで昔から読みたいと思っていたのが本書でした。ただ少し気になっていたのは、著者がこんなコメントをしていたことです。
『世の中に、まったく同じ条件を兼ね備えた人と言うのはいません。性格もそれぞれ、生まれも育ちもそれぞれです。たとえ家族であっても、個人ややはり異なる条件の中で生きています。大切なのは、与えられた条件の中で最大限に輝くこと、そして、自分と異なる条件のもとに生きている人を恐れず、拒絶せず、共に受け入れることだと思います。ハンディ・キャップさえ最大の個性として受け入れ、みずみずしく生きている人は大勢います。』
26年も前に今言われているダイバーシティ&インクルージョンの概念を先取りしていたんだなとも感じました。ただ最後の一文が引っ掛かりました。僕自身は障害を個性とは捉えていませんし、その表現には否定的な立場を取っているからです。
ですので、作品の中で、障害を強みに、武器に、というような内容がでてきたらどうしようかなと不安に思って読み始めました。結論としてはそういった表現は全くなかったので大変安心しました。
ミステリー小説ではあるけど、深い人間ドラマが描かれる
乃南アサさんは別のインタビューで下記のようなことを言っています。
『作品が目に触れるようになったときにいろいろな括りがつけられるのであって、自分ではミステリーを書いているという意識はない。私は「人間」を書いていきたい。』
直木賞受賞作が素晴らしいミステリー小説であったことから、それ以来ミステリー作家と分類されるようになってしまったことに対してのコメントだったと思います。本書「鍵」ではミステリー要素は最低限(それ自体が物語を進める推進力となっていないという意味)で、終始一貫して人間が描かれます。
障害がある主人公、障害のある主人公を他の兄弟よりも手を掛けて育てた母、障害がある主人公が生まれたことで母親の関心を失ってしまった兄、責任感の強い長子の姉、家では言葉の少なかった学者肌の父。
一見、バラバラな家族をつなぎとめていた一家のムードメーカーが母親でしたが、その母親の死、そこに続く父親の死の中で、姉、兄、主人公の関係性は徐々に停滞し、家族関係の破綻が静かに進んでいきます。障害があることでわかりやすく浮き彫りになっていますが、この本で書かれている人間は、皆さんが共感できる家族の中にある感情だとは思います。
その中で、停滞する日常にサスペンスが波風を立て、家族関係の歪さがより炙り出されます。後半ギリギリまでその展開が続くため、読んでいて苦しくなる作品でしたが、最後にはその家族関係が事件をきっかけにしてポジティブに再構築されていったのですが、ちょっとしたすれ違いや自分の中にある意地で難しくなってしまう人間関係を再構築するものって何だろうとしばらく考え込んでしまいました。
続編には「窓」という小説もあり、それも手元にはあるので、また時間があるときに読んでみようと思います。
先日は朝井リョウの「正欲」を紹介しましたが、今後も、こんな感じで、障害や多様性に関わる作品を紹介していこうと思います。