発達障害の診断を受けての宣言⑥
発達障害の診断を受けての宣言⑥
※このブログは2022年6月20日のFacebookの投稿に加筆修正したものです
「やっぱり【スポーツ】だと思います」
これまで何度か「障害者スポーツ」や「パラスポーツ」という言葉が指すのは、『スポーツ種目や活動そのものではなく、スポーツに関わってきた人たちの積み上げてきた自立生活運動という文化だ』ということをFacebookでも書いてきました。
障害認定を受けた僕がやるのは「スポーツ」か「パラスポーツ」か
僕は今、週に何度か運動をしています。障害認定されるまでは、僕がやっているのは誰から見ても「スポーツ」だったと思います。ここには異論はないかと思います。では、障害認定を受けた今、僕がやっている活動は「障害者スポーツ」や「パラスポーツ」なのか、と考えてみると、やはり「スポーツだな」と第一感では思います。別に自転車に乗ってもパラサイクリングではないですし、散歩をしてもパラウォーキングではないですよね。
文化としての障害者スポーツ
パラスポーツと障害者スポーツという言葉が混ざるとわかりにくいので、この2つの言葉は同じ意味だと仮定して、この後は障害者スポーツという使い慣れた表現で説明をします。
個人的に障害者の自立運動とは一人一人の当事者やそこに関わる人たちが積み上げてきた尊い取り組みの総称と思うのですが、一生懸命勉強していろんな方に教えていただいて、何とかその歴史の一端を知ることができているくらい、初見の方には敷居が高いと感じることがあります。でも、それくらい論理的に突き詰めて戦略的に取り組まないと障害者権利条約をはじめとする現在の状況は実現できていなかったと思うので、それを否定するわけではありません。
そんな難しいことはわからないけど、既存の社会システムの中で自分たちの参加できる場所がない状況を打破するために、スポーツをツールとして使って活動してきた一人一人の当事者やそこに関わる人たちが積み上げてきた尊い取り組みの総称が障害者スポーツなのではないかと思うわけです。
障害者スポーツとヒップホップミュージック
これは、ヒップホップミュージックの精神に近いものを僕はすごく感じていて、ヒップホップミュージックのサンプリングの文化ですよね。既にある既存の音楽の一部を持ってきてそれをアレンジして新しいものとして価値を与えるものと僕の浅い理解では捉えていますが、既存のスポーツ種目を持ってきてアレンジするというのは車いすバスケやブラインドサッカーなどがわかりやすいですね。複数のところから持ってきたルールを組み合わせて新しいものを作る、というのは車いすラグビーがわかりやすいですね。
Rhymsterがヒップホップは『持たざるものたちの持たざるものたちによる持たざるものたちのための偉大なるアマチュアリズム』と称しています。「楽器が弾けなくても、歌が歌えなくてもこんな表現ができる」というメッセージがフォロワーを作っていきました。
別に、障害者スポーツの黎明期に関わった人たちが持たざる者であったとか、主流の自立生活運動に関わるための知識がなかったとか、そういうことでは言いたいわけではありませんが、少なくとも現在よりは、「スポーツ参加機会」という一点においては制約は多かったはずです。用具も十分に地域になく、より重度の障害のある方にはそもそも参加できる種目が今ほどはありませんでした。東京のJRの駅に当たり前にエレベータがあることすらこの20年の変化で、それまでは移動も今よりも大変でした。そういった中でスポーツに関わってきた人たちが活動できる場所を探したり、新しい種目をどこかから探してきて取り入れたり、場合によっては用具の開発をしたり、ボランティアでの活動に人生をささげたりしてきた積み上げが今、障害者スポーツという言葉に全て含まれていると感じます。こういった視点に立つと、障害者スポーツを見たときに、その後ろにある開発者の想いやそれをつないできた人たちが見えてきますし、新しい種目を見たりするとひとり熱く感動したりするようになります。
ストローケンデル先生は『障害者スポーツの種目とは、既存のスポーツ種目において参加制約を受けていた障害当事者が考えていたメルヘンが形になったものである』とよく言っていました。
自身が障害認定をされて、自分がやっているのは、別に認定の前後を問わず、スポーツだなと確信するようになり、やはり障害者スポーツは文化を表す言葉だなと再認識をしました。ということで僕がやっているのは「スポーツ」です。