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by 橋本 大佑(はしもと だいすけ)

発達障害の診断を受けての宣言④

発達障害の診断を受けての宣言④

※このブログは2022年6月18日のFacebookの投稿に加筆修正したものです

「障害は痛いくらいの現実でしかなく、そこに意味はない。意味があるとすれば、その人が取り組んできた姿勢やノウハウ、つまりその人の人格(パーソナリティ)が重要である。」
※僕は今、障害受容もして人生で一番ポジティブな姿勢で生きております。その前提でお読みください。

特別支援教育に関わるようになってから約20年、障害とは何かということを考え続けてきました。障害や多様性のニュースに関連するSNSなどを見ていると僕の障害や多様性のイメージは世の少数派ではあるといつも実感するのですが、おかげさまで「障害とは何か」をどう伝えればいいのか、ということについて当事者の方や家族、仕事で関わる方やメディアなど、人に意見を求められるくらいにはなりました。
実際に自分が障害当事者という属性に加わったことで、その考え方が若干考え方が変わるかもなと考えていました。しかし、大筋では全く変わらず、いろいろな体験は今までの考え方の方向性を強化する方向に働いたと思います。

確かに障害受容は想定していたよりきつかったので、講義とかで話す内容には修正が必要だなとは感じましたが、逆に今までスポーツや車いす指導で関わった方の中で自身の障害と向き合うきっかけができて、ポジティブに変わった人を何人も思い返して、「こんなに障害受容が大変だとすれば、ストローケンデル師匠から教わって実践している指導メソッドを再評価しないといけないなぁ」と感じたりしました。それでこの2か月くらいは自身の指導論を見直していたりします。

さて、先日も書きましたが、障害特性上空気が読めないから、結果として人一倍集団での空気を把握できたり、自分の中につかみどころのない不安があり、それと向き合い続けてきたから、人の不安が読み取れたりする能力は所持していると思います。

それは自分の発達障害がきっかけではありますが、それを価値化するためにはそれなりに苦労もしましたし、勉強も失敗もしてきました。その積み重ねの結果が今の自分に繋がっており、それが仕事にもなっているというのは大変ラッキーなことだと思います。

でも「発達障害だから○○ができたんだね」と言われると、正直これまで積み上げてきた過程が否定されているように感じます。

掃除ができないこと、マルチタスクが苦手なこと、スケジュール管理ができないこと、多くの人に迷惑を掛けてきました。それは僕にとっては自己評価を下げることにつながる重い現実でした。
実は、発達障害の診断を受けて、過去のいろんなことを思い返して、それこそ障害受容もしたのですが、それは一つ一つの過去を絶望しながら受け入れ、折り合いを付けていく過程でした(この文章を書いている現在は人生で一番ポジティブな実感がありますのでご心配なさらず)。

これを書くかどうかはかなり悩んだのですが、一番絶望したのは、2009年に日本に帰国してからプライベートを横に置いて仕事にまい進してきた理由として、「そうか、マルチタスク(仕事とプライベートの両立)ができないからだ」と気づいたときです。ADHDであることがわかっていれば、マルチタスクができないけど、どうすればいいか一緒に考えることはできました。今、独り身でない未来の選択肢も間違いなくあったと気づいた時、42歳にして号泣しました。

さて、そんな障害に価値などあるでしょうか。いろんな考え方があることは承知していますし、他の意見を否定することはしませんが、少なくとも僕にとっては障害特性はただの現実です。自身が障害当事者になったことで、これまで発信していた障害に対する考え方は実感と体験を持って強化されましたので、これからも変わらず発信をしていきたいと思います。

上の写真は2019年に開催したシンポジウムの様子ですが、ご登壇いただいたお友達の芳賀優子さん(右側:クロネコヤマトで社内提案をして不在届の形状変更を実現したり、NHKラジオでパーソナリティをした経歴もある尊敬する大先輩です)と以前、お話をしたときに「障害に意味があるなら私は神に祈ります」と表現をしていました。つまり、そんなことはないということです。全体としては少数派かもしれませんが、僕は大賛成です。
障害者権利条約第8条は「意識向上」について謡っています。その第一項(b)では締約国が取り組むこととして「あらゆる生活領域における障害のある人に対する固定観念、偏見及び有害慣行(性及び年齢を理由とするものを含む。)との闘い」をあげています。英語でもCombatなので、闘いと言う表現は全く間違ってはいませんし、実際、オリパラに向けて障害をどのように表現していくかというところにある程度の影響力を持って関わろうとした全ての活動は闘いでした。

外務省ウェブサイトにある公定訳は条文によっては意訳が過ぎるところがあり、特にこの第8条第一項(b)は一番好きな部分なので、いわゆる「川島=長瀬仮訳」を引用しています(公定文ではCombatは闘いではなく戦いと訳されており、意味が全く異なります)。「障害」=「可哀そう・大変・不幸・特別な力を持つスーパーマン・常に支援が必要な存在」という固定観念とは変わらず闘っていこうと思います。

この記事を書いた人

橋本 大佑(はしもと だいすけ)
筑波大学で障害児教育を学んだ後、渡独して現地日系企業(THK株式会社)に勤めながら障害者スポーツを学ぶ。2009年に帰国し、障害者の社会参加を促進するためのスポーツを活用した事業を実施。2016年より現職。国内外で共生社会や障害者スポーツ指導者養成に関わる講習を行う。また共生社会の実現に向けて企業を対象としたセミナーやコンサルタントも行う。
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