パラリンピック生誕の地 ストーク・マンデビル
パラリンピック生誕の地 ストーク・マンデビル
英国滞在の最後の日は、パラリンピック生誕の地ストーク・マンデビルにやってきました。
写真はストーク・マンデビルスタジアム・グッドマンセンターの入り口です。
そして入り口を入って右側にはパラリンピックの父と呼ばれるグッドマン卿の肖像が飾られていました。
日本では「失ったものを数えるな、残されたものを最大限にいかせ」という言葉が有名ですが、
この肖像には「もし私が自身の医師としてのキャリアの中で一つ善いことをしたとすれば、
それはリハビリテーションにスポーツを取り入れたことである」という言葉が添えられていました。
1943年当時、脊髄損傷は不治の病であり、受傷者の多くは1年以内に命を落としていました。
来るドイツとの戦争で多くの脊髄損傷の受傷者が発生することを見越して、英国政府は、
ストーク・マンデビルの地に戦傷者病院を建立し、そこに脊髄損傷センターを設立しました。
そこにセンターの長として赴任した神経医療の専門家であったグッドマン卿は、
まず脊髄損傷の延命に取り組み、保存治療法を確立しました。
その後、脊髄孫奏者の社会復帰に向けてのリハビリテーションプログラムの開発に取り組み、
スポーツを取り入れました。1948年にこの地で開催された脊髄損傷者のスポーツ大会が
今日のパラリンピック大会につながり、現在では、ストーク・マンデビルはパラリンピック大会の生誕の地として知られています。
3月29日にこのグッドマンセンターの中にパラリンピック大会の遺産センターがオープンするため、
私が訪れた3月28日は、そのオープンセレモニーが行われた日でした。
このセレモニーに日本・英国の交流事業の関係者は、参加者として入場することができました。
ストーク・マンデビルに関連する事業で自分の名前の入ったカードがもらえたことはうれしい驚きでした。
オープンセレモニーではお二人の方がスピーチをされました。
1人はグッドマン卿の娘であるEva Loefflerさん(下の写真右から2番目)。
もう1人は、前IPC会長のPhilip Craven卿です。
グッドマン卿は、元々はドイツに住んでいたドイツ系ユダヤ人でしたが、ナチスの迫害から
逃れるため、イギリスに亡命をした経緯がありますが、Eva Loefflerさんが、スピーチの際に
恐らくは入口の言葉になぞらえて「もしヒトラーが一つだけ善いことをしたとすれば、それは私の父を英国に亡命させたことです」
とスピーチを始めたのがとても印象的でした。
オープン前の遺産センターにも入ることができました。
過去のパラリンピック大会の記念品や歴史に関する映像展示などがありました。
英国に行かれる方は是非ストーク・マンデビルまで足をのばしてみてください。
(ロンドンから電車を使うと2時間ほど掛かります)