ストローケンデル博士追悼セミナー報告 vol.1 北九州(1)
ストローケンデル博士追悼セミナーのご報告
2月16日の北九州市からストローケンデル博士追悼セミナーが始まりました。
ご縁の深い、そして個人的にも大変お世話になった地域を周りますので、
イベントだけではなく、各地の様子をブログで報告していきます。
ふうせんバレーボール発祥の地 ”北九州市”
北九州市は1989年にふうせんバレーボールという種目が考案された地です。
ふうせんバレーボールは障害のある人もない人も、さまざまな種別や程度の障害の
ある方が、重度障害者も含めて参加可能なスポーツです。
2009年末に初めてドイツに紹介し、ドイツでも広くプレーをされています。
その普及を中心的に行ったのがストローケンデル博士です。
正式なルールでは、バドミントンコートで風船をボールとして使い、
6対6で行うバレーボール形式の競技ですが、特徴的なルールは、
チームの全員にボールが回らないと相手コートに返球することが
できないことです。そのため、通常のバレーボールとは違い、
3回ではなく10回以内に相手コートに返球することになっています。
障害者スポーツは当事者の夢が形になったメルヘンである
ストローケンデル博士は「障害者スポーツとは、現状に課題を抱える当事者が
自分の理想をスポーツを通して体現するメルヘンのようなものである」と
よく言っていました。
「目が見えない、でもサッカーがしたい」→ブラインドサッカー
「上肢にも障害があるので車いすバスケはできない、でも激しいチームスポーツがしたい」→ウィルチェアーラグビー
などなど、新たに考案される障害者スポーツには、当事者やその周りの方々の思いが込められています。
もちろんふうせんバレーボールにも考案者の思いが込められています。
そして、それは北九州地域で行われていた当事者運動(障害者の自立に向けて)と
切り離すことができません。
そこで、当日をする岩井さんのお宅にお邪魔して、いろいろとお話をしてきました。
詳細な内容については次のブログでご紹介します。