障害に対する偏見の有無は行動からだけでは判断できない(その3)
※これで最後です。
2つ目の違和感は、タイトル通りなのですが、行動を見て差別意識の有無を判断することはできないということです。
例えば障害者が街中で困っている場面に遭遇したとします(いろんな研修でこういう場面設定がされることを僕は大変疑問に感じていますが、今はそこには言及はしません)。
もうちょっと具体的に場面設定をします。地下鉄の駅で改札を出て地上行きのエレベーターに乗ったら、車いすユーザーやベビーカーを押している人などエレベーター以外の移動手段が難しいと判断できる人がエレベーターに乗ろうとしていた。「自分が降りればその人は乗れる」という場面があったとします。
この時にあなたはどうするでしょうか?
車いすユーザーの方に話を聞くと、譲ってもらったことなんか数十年間で1回もないという人が多いです。オリパラで少しは変わっていることを期待します。
この時、ある人が「エレベーターから降りて目の前の車いすユーザーに譲る」行動をしたとします。この行動自体は支援行動として好ましいと判断される行動です。
ただここで大事なのは「なぜ支援行動を行ったのか」という支援者の意識です。「障害の社会モデル」や「アクセシビリティ」を理解した上で譲ったのか、それとも「障害者がかわいそうな存在」だから同情で譲ったのか、どちらもありえます。「譲る」という外から見える行動は同じなのに、内面では全く異なることを考えている可能性があります。
行動から支援行動の動機を判断することは難しく、好ましい行動をしているからと言ってその意識が差別的ではないとは言えません。
今回紹介したIBMの記事では、一見モデルケースになるような好事例が紹介されています。しかし、その取り組みからだけでは障害に対する意識を判定することができません。
ただ、記事内の様々な表現から僕は障害に対する強いスティグマを感じます。スティグマとは、特定の属性に対するネガティブなレッテル張りを指します。
記事内では「障害」という言葉を「個性」や「多様な能力」という言葉に言い換えています。内的に強いスティグマがあるからこそ、「障害」という言葉をそのまま使うことができていないわけです。実際の現場レベルではそれほど差別的な意識はないかもしれませんが、少なくとも記事内の表現からはスティグマを感じるということです。これが2つ目の違和感です。
IBMでは消極的資源活用型ダイバーシティの視点から障害者雇用を進め、その中で積極的資源活用型ダイバーシティに該当する取り組みを始めています。その取り組みは、まだまだ日本国内の多くの企業で行われていないことです。そのためIBMの取り組みは他企業のロールモデルとなる可能性があります。
しかし、この取り組みではここまで解説してきたように、積極的資源活用型ダイバーシティの抱える課題や、障害に対する意識の課題は解決できない可能性が高いと考えます。
今後こういった取り組みは国内企業や様々な組織でも増えていくと思うので、望まれる障害者像を提供する一部の障害者だけが利益を得る一方、一般的な障害者に対するスティグマが高まっていくことが心配です。
こういうことを書いている僕自身も起業したころは、積極的資源活用型ダイバーシティの事例を作ることが大事と考えて活動していました。そこで、いろんな方、特に重度障害のある方と関わる中で自分の中に積極的資源活用型ダイバーシティに対してモヤモヤする感覚が出てきました。それが6年前に東京大学の星加先生に出会って少し論理的に理解できたのですが、じゃあどうすればいいかというのはいまだにモヤモヤしています。今の考え方に至るきっかけをくれた方々との出会いや交流は貴重な縁でしたが、大事なのは本当に今の考え方が最適なのかを考え続けることなのかなとは思います。