障害に対する偏見の有無は行動からだけでは判断できない(その2)
IBMの記事に対するまず一つ目の違和感を積極的資源管理型ダイバーシティの視点から解説します。
ダイバーシティの区分について詳しく知りたい方は下記のwiredの記事を読んでもらえればと思います。東京大学の星加先生と飯野先生がダイバーシティの罠というテーマで行った講演をまとめた記事です。
IBMの記事でも元々人的資源が不足していたために、黒人や女性、障害者の雇用をしなければならなかったと記載されています。これは消極的資源管理型ダイバーシティと区分されます。
つまり、企業としては「積極的に雇用をするつもりはない」にも関わらず、雇わざるを得ない状況(人材不足)があるので雇用しているということです。
これは障害者雇用促進法の法定雇用率を満たさないといけないから「積極的に障害者を雇用をするつもりはない」が、雇わざるを得ない法的背景があるので、雇っているというのも同じ構造です
ね。こういった背景によって障害者雇用が後押しされ、結果として障害者の雇用が増えることは確実な一歩と言えます。
ただ、この消極的資源活用型ダイバーシティには大きな課題があります。それは、それまでに雇用されている社員よりも低い存在として扱われ、仕事面や給与面で制約を受けるということです。
男女雇用機会均等法(1985年)は僕は体験をしていない世代ですが、知っている世代の人に話を聞くと、「職場に女性が入ってきたらどうしよう」という話をしていて、女性はお茶くみ、庶務、清掃などの仕事が与えられたりもしたということで、正に消極的資源活用型ダイバーシティの課題が現れています。それから30年以上たち、職場に女性がいることは当たり前になっていますが、それでもまだまだ制約やガラスの天井があるという話は聞きます。これも構造的には同じ話です。障害の話とジェンダー平等の話には構造的な類似点が多くあります。
特例子会社を作って社内の業務を切り出して障害のある社員に担当させるという手法もこの消極的資源活用型ダイバーシティの枠組みに該当します。特例子会社自体を否定する意図はないですが、構造的には同じ課題が生じる可能性があり、実際に生じてもいます。
さて、これに対して積極的資源活用型ダイバーシティとは、障害のある社員が利益を追求する会社という組織に対して何らかの価値を提供するため、「積極的に雇用をする状態」で、正にIBMの事例に合致します。
つまりIBMでは、障害のある社員はIBMに何らかのメリットを提供しているということです。どういうメリットかを記事から3点抜粋します。
①障害のある社員を雇用することで、障害を制約とせず、誰もが個々の能力を発揮して働ける組織を実現できる
②障害のある社員が働きやすい環境やインフラの構築は、全社員にとってメリットにつながっている
③障害のあるインターン生同士がお互いの得意な分野で補い合う姿から、IBMも毎回多くのことを学んでいる。
つまり障害のある社員やインターンを雇用することは、IBMの利益になるということです。その最たる例が浅川智恵子さんの読み上げソフト開発ですね。
これもジェンダー平等の観点から考えると、例えば「女性社員が入社することで女性向けの商品開発ができるようになった」と言うような状態ですね。
障害者を雇用することが組織の利益になるため、「積極的に障害者を雇用する」ことになるため、積極的資源活用型ダイバーシティに区分されます。これは、多様性の高いチームは生産性が高いと言っているGoogleを始めとしてアメリカの多くの企業で取り入れられた考え方です。
この積極的資源活用型ダイバーシティでは、障害者が組織の一員として明確な役割を持って参画するため、消極的資源活用型ダイバーシティの障害者が仕事や給与の面で制約を受けるという課題を解決しているように見えますが、ここにも大きな課題が2つあります。
まず一つ目は、組織に対して価値提供をできない障害者の地位は消極的資源活用型ダイバーシティで得られていた地位と変わらないということです。例えば女性のすべてが女性向けの商品開発をしたいと思っているわけではないように、障害者のすべてがユニバーサルデザインの商品開発をしたいと思っているわけではありません。また全ての人が商品開発に適した能力を持っているわけではありません。そうすると、そういった価値を提供できない人の地位は変わらないわけですね。ただ割合としては低い成功事例がわかりやすく表に出されるため、上手くいっているように見えてしまうという問題もあります。
二つ目は、特別な才能を有していない多数派のマイノリティは、組織に対して「障害」という多様性を提供するというコマとなります。この点は、僕が去年のパラリンピックの閉会式のセレモニーがあまり好きでない理由で、「多様であることが価値が高い」という考え方の元に、「わかりやすい多様性を提供するコマ」として障害者が配置されている状況です。つまり、障害者の障害を見て、人格を見ていないということで、これは結構酷だと感じます。あと、障害のない社員も本来多様であるはずで、それが「障害がわかりやすい多様性を提供するため、本来個々人にあるはずの多様性が無視されているように見えるのもあまり好きではないですね。
僕が実際に聞いたことのある事例ですが、ある組織で働いていた車いすユーザーAさんが、組織から「事務所に車いすユーザーが来たときの接遇研修をしてくれないか」と頼まれたそうです。事務所があるビル自体はバリアフリー化ができていた(なぜなら車いすユーザーが働けているから)ので、Aさんは研修の依頼を断ったそうです。事務所に来る車いすユーザーは街中にある様々なバリアを乗り越えて事務所までやってくるわけで、その人にバリアフリー化されたビルで行う特別な配慮はないわけですよね。だから、依頼を断ったこと自体には共感をします。それで、組織にいる別の車いすユーザーBさんに依頼が行われ、Bさんは依頼を受けて研修を行ったそうです。そこで、AさんがBさんに、「あんな研修は意味がないのに何で受けたのか」と聞いたところ、「ああいう研修をやると障害のない人は喜ぶでしょ」と返したそうです。
このように積極的資源活用型ダイバーシティでは、必要以上に障害のない人に寄り添って価値提供をする人も出てきて、そういう人の方が高い評価を受けたりします。
IBMの事例では、こういった積極的資源活用型ダイバーシティの課題が解決されていないように見えます。これが一つ目の違和感です。
外部リンク
「ダイヴァーシティ推進」の見えざる罠:「The ABC of Diversity・企業と多様性をめぐる対話 」(1/3) | WIRED.jp