一般社団法人 コ・イノベーション研究所

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by 橋本 大佑(はしもと だいすけ)

本日は郡山で研修です

今日は福島県の運動導入教室の見学と協会の活動を学ぶための講義を受けるために郡山までやってきました。

これから郡山市障害者福祉センターに移動します。

郡山には必ず毎年来ているのですが、「ひょっとこ踊り」の看板とマスコットが新幹線出口を出てすぐに迎えてくれるのが印象的です。

ひょっとこについては近いうちにポリコレの対象になるだろうなと感じています。

僕の世代は「チビクロサンボ」という絵本がよく読まれたのですが、黒人差別のため、現在では全く見なくなりました。

では「ひょっとこ」は何の差別になるのかというと、障害者とルッキズムというキーワードが関連します。あまり出自が知られてないから、まだ問題にされていないだけと思いますね。

「ひょっとこ」の語源は「火男」です。「火男」とは火を守る仕事をする人を差します。

時は平安時代まで遡りますが、農作をしている村には必ず火を炊いて畑を見守る小屋がありました。この小屋で村人は休息を取ったりしました。そして視覚障害や身体障害により、農業に従事することができない人が、火が消えないように番をしていました。この小屋で村人の話を聞き、視覚障害者は村の語り部になり、琵琶法師になっていきました。障害者が自身が所属するコミュニティの中で役割をもって参加していたわけです。当事、障害のある子が生まれると福子と言われました。自分達がいなくなった後、障害のある子が暮らしていけるようにと両親が頑張ることで家が栄えるためと言われていますが、こういったエピソードから障害に対するスティグマは比較的低かったのではと感じたりします。

さて、鎌倉時代以降貴族から庶民に仏教が広まり、因果応報という考え方が根付いていくにつれ、平安時代まであったような障害者福祉はどんどん聞かれなくなっていきます。

江戸時代になって「火男」とは、商家などで火を消さないように守る仕事となりました。労働中に休息は許されず、朝晩問わずに働かないといけないことから、成り手のいない仕事でした。そこで、江戸時代では「一般的な仕事につきにくい」つまり障害のある人の仕事として「火男」という仕事が存在しました。

ひょっとこのお面からは特定の障害を想起することができます。

彼らは昼夜問わずに仕事があり、年に数度あるお祭りの日だけが休日でした。普段性的な欲求を消化することが難しかったであろう彼らを、「見た目は美しくないがやさしい」村の娘たちが相手をしたわけです。その村の娘たちが「おかめ」ですね。

なので、当時どのような背景があり、ひょっとこ踊りが誕生したかはわかりませんが、その背景には少なからず「火男」という仕事をする障害者とその相手をする「おかめ」を嘲る意図はあったと思います。

伝統芸能ではありますが、ポリコレに引っ掛かるのではないかという理由はこんな感じですね。

この記事を書いた人

橋本 大佑(はしもと だいすけ)
筑波大学で障害児教育を学んだ後、渡独して現地日系企業(THK株式会社)に勤めながら障害者スポーツを学ぶ。2009年に帰国し、障害者の社会参加を促進するためのスポーツを活用した事業を実施。2016年より現職。国内外で共生社会や障害者スポーツ指導者養成に関わる講習を行う。また共生社会の実現に向けて企業を対象としたセミナーやコンサルタントも行う。
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