出張中に読む本1冊目を読了
今回の出張は下記のような日程です。
7日 大船渡へ移動
8日 午後から陸前高田で講習
9日 1日陸前高田で講習後盛岡へ
10日 仙台へ移動し、いくつか訪問
その後帰宅
移動が多いので、読みたかった本1冊と読まないといけない本2冊を持ってきています。そしてまず移動中のバスで一冊目を読み終えました。
見えない偏見の科学: 心に潜む障害者への偏見を可視化する (プリミエ・コレクション) | 栗田 季佳 |本 | 通販 | Amazon
障害又は障害者への偏見をどのように学術的に測定、評価するかという観点で具体的な方法論も含めて、資料としては非常によい本だと感じました。
それと同時に障害理解教育研究に対して持っているのと似た違和感を感じました。
違和感①障害者へのポジティブなイメージが好ましいとされているように読めること
違和感の一つ目は、本書及び本書で紹介されている研究においては、障害者へのネガティブなイメージ(例:能力が低い)は、解消すべきことであり、その解消のために何が有効かという研究が紹介されています。しかし、例えば障害者へのポジティブなイメージ(本書では障害者は能力が低いが人としてあたたかいというイメージが何度もでてきます)は解消が必要なものとしては捉えられていません。本来、障害は直接人格に影響するものではなく、いわゆるいい人もいれば、悪い人もいます。〇〇時間テレビのようなメディア露出によって、障害者は純粋で頑張っているというイメージが伝搬したことには、眉をしかめる人も多いです。「障害者なのにパチンコするんですか」「障害者なのに煙草を吸うんですか」という言葉を言われたという話はよく聞く話です。
僕が大尊敬する整形外科の先生は、「障害のない人がタバコを吸い、パチンコに行き、犯罪を犯すのであれば、障害のある人もタバコを吸い、パチンコに行き、犯罪を犯す世の中でなければならない」ということを仰っていましたが、「障害=いい人」というイメージも障害者に生きづらさを与えるファクターではあります。障害理解研究もそうなのですが、障害者に対するステレオタイプのイメージは、ポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、それは偏見なので、本書からはその視点が感じられなかったのが残念でした。
違和感②偏見を研究する人、偏見について講義や講演を行う人が自身の抱える偏見・差別の反芻をしていない気がする
明後日も講義で心のバリアフリーの話や障害とは何かということを話すのですが、僕自身、自分に偏見がないとは思っていません。無意識レベルの偏見は人間の遺伝子に組み込まれたもので、成人以降の矯正は難しいと考えています(もちろん矯正が可能な手法が見つかることは大歓迎です)。人間は経験したことに対する思考を簡略化し、新しいものを取り入れていく生き物なので、思考の簡略化(脳内で特定の情報と特定の情報の間のつながりが強くなること)は、人間の性(さが)です。だからこそ、無意識的にどのような思考の傾向があるかを知ることが大事で、自分にどんな偏見があるか知った上で対策を取ることが成人以降の年齢では現実的なアプローチなのかと思います。
IATテストやFUMIEテストなど、無意識レベルの偏見を測定する手法はありますが、こういうテストを受けるとジェンダー平等については僕はかなり偏った無意識レベルの偏見を持っていることがわかります。それは40年生きてきた思考の癖なので、一朝一夕には矯正ができません。でも、自分にそういう傾向があることを知っていれば、当事者から意見を聞いたりしながら自身の行動や言動を修正することはできます。
前置きが長くなりましたが、こういう自問自答をし続けることが大事だと思っています。
この本の冒頭の章から引用します。
「差別を表面化させない手だてが必ずしも差別をなくすことにはつながらない。色覚障害の有無を検査する色覚検査の廃止がその1つである。廃止の理由の1つに検査が不適切なレッテル張りになることがあげられた。検査を行わなければわからなかった色覚異常が判明することによって周囲のものがからかったり、いじめたりと差別を助長するというのである。しかし、色覚検査がなくなったからと言って色覚異常を持つ人ががなくなるわけではない。検査廃止後、自身の色覚異常に気付かなかったものが、就職試験ではじめてわかり、就職を断念せざるを得なかったということがあった。差別を見えなくしても、差別はなくならないのである。」
何というか突っ込みどころしかない議論展開と思います。
これについて何が突っ込みどころであるかを知りたい方は下記リンク先の著書を読んでみてください。
「色のふしぎ」と不思議な社会 ――2020年代の「色覚」原論 (単行本) | 裕人, 川端 |本 | 通販 | Amazon
違和感③障害とか平等といった定義が個々人であいまいなものをどう測定できるのか。
これが、障害に対する意識調査全般に対して僕が持っている疑問です。「障害」という言葉についてどのようなイメージを持つかは人それぞれです。「あなたは障害は不幸だと思いますか」という設問があったときに、「その障害とは何を指しますか?」と言うことがいつも議論として抜けていると感じます。いわゆる軽度の障害者と接した人や、パラリンピック選手の講演を聞いた人では、障害という言葉から自分が接した特定の障害者を想起するのではないかと思います。人に寄っては街中でみる障害者をイメージするでしょう。僕がもし、この質問をされたら、答えは「わかりません」というしかありません。僕の中にも障害に対する偏見はあり、いわゆる最重度障害者や、非常に特殊な受傷歴を持つ人を目の前にしたときに「障害は不幸ではない」と自信を持って言えないと思います。それに加えて無意識レベルに染みついた偏見は必ずあります。ですので、「障害は不幸か」という問いには「わかりません/人によると思います」と答えるしかなく、その回答が許容されない場合は「偏見があります」と答えるしかないと思います。障害、平等というシンプルな言葉の奥には広い多様性があるという視点が、障害理解教育研究などの論文を見るといつも感じる違和感です。
ただ、今回紹介した見えない偏見の科学は、障害に対する無意識レベル及び表層意識レベルの偏見を、これまで学術的にどのように測定、評価しようとしてきたか、その手法と取り組みを把握するレビュー本としてはいい本だと思います。
購入して自宅には置いてあるのですが、若干の消化不良は下記の本で解消されるのではと期待しています。
見えない偏見の科学: 心に潜む障害者への偏見を可視化する (プリミエ・コレクション) | 栗田 季佳 |本 | 通販 | Amazon
取り合えず読みたい本は読了。後2冊は読まないといけない本です。