体の不自由な方という表現について
NHKニュース「海女たちが体の不自由な人への接客学ぶ 鳥羽市」というニュースをリンクしました。
最近、「体の不自由な人」っていう表現は聞かなかったなと思うと同時に、すごいエイブリズム(障害のない状態を最良と考え、そうでない状態を低く見ること)な印象を受けました。
でもよくよく考えると、この「体の不自由な人」という言葉は「肢体不自由」という言葉から来ていると思います。
東京都のホームページから肢体不自由の定義を引用します。
「肢体不自由とは、病気やケガなどにより、上肢・下肢・体幹の機能の一部、または全部に障害があるために、「立つ」「座る」「歩く」「食事」「着替え」「物の持ち運び」「字を書く」など、日常生活の中での動作が困難になった状態をいいます。」
視覚障害、聴覚障害、知的障害、発達障害など、障害区分を表す言葉は「○○+障害」で構成されています。肢体不自由だけが肢体障害とは言わないわけで、昔の表現が残っていますね。身体障碍としてしまうと、そこには視覚障害や聴覚障害、内部障害なども含まれてきます。
健常者という言葉を僕は使わないようにしています。これは、Able-bodied Personという英語からの和訳と思いますが、障害のない人を健常という裏側には障害のない人を「健常でない」とする無意識があります。ただ、多くの人はそういった隠れた差別意識を持たないまま、健常者と言う言葉を使っていると思います。
僕も今日、この体の不自由な人という表現を久方ぶりに見るまで「肢体不自由」という言葉が持つエイブリズムに思い至りませんでした。片方を不自由と言うからには、もう片方は不自由でないということです。じゃあ肢体不自由ではなく、どういった言葉を使うといいのかというのは、今は正直思い当たらないところですが(肢体障害でいいような気がしますが)、これから気を付けて考えていきたいと思います。
ちなみに、こういったニュースで「体の不自由な人」という表現を使う背景には、「障害」という言葉を使いたくないという意識があります。障害の社会モデルの考え方に則ると障害は社会にあるので、障害者とは、社会にある環境が不十分なために機会損失やできることの制限がある人というような捉え方となります。そうすると、必ずしもネガティブな意味ではないのですが、「障害」という言葉を使いたくないという意識自体が障害に対するネガティブな偏見や、社会モデルではなく個人モデルの意識があることを表していると思います。