一般社団法人 コ・イノベーション研究所

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by 橋本 大佑(はしもと だいすけ)

ぼっち・ざ・ろっくとチェンソーマン

ぼっち・ざ・ろっくとチェンソーマンはどちらも2022年10月~12月に放送されたアニメです。

Facebookでは何回か書きましたがチェンソーマンは原作が素晴らしく、アニメは非常に残念な状態でした。原作のよさと思っていたものがアニメ化したことでなぜあんなにきれいに消え去ってしまったのかはしばらく考え続けることになると思います。

ぼっち・ざ・ろっくは全く知らなかったアニメでしたが、途中から見始めて原作を買い、楽曲を繰り返し聞くくらいにはハマってます。この投稿にシェアしたリンク先の動画ではその楽曲政策部分について関係者が語っていますので、興味ある方は是非視聴してみてください。

この全く違う2つの作品に共通しているテーマは欲求を人間回帰だと感じています。環境によって枷(呪い)として低い自己評価を強いられた人間はいかに自己の表層意識や無意識下に存在する欲求と向き合っていくかということですね。

最近いろんなところで人と関わる中で考えたり、時にすごく悩んだりすることの答えがこの2つの作品のアニメや原作を連立方程式に組み合わせて考えていくと出そうだなと感じています。

その最近よく考えることとは、「幸せ恐怖症」です。

自己評価が低い人って心の中では幸せを望んでいるのにも関わらず、無意識にそれを拒絶するときがあります。

僕はその状況を「幸せが器からこぼれる」と呼んでいます。

1年くらい前に障害受容をして、自分の中の承認欲求モンスターとの戦いが終わってから、指導の質が上がったんですよね。相手を鏡として見なくなって、そのまま見ることができるようになったから、コミュニケーションや観察の精度が上がったことが要因かとは思っていますが、もう少し自己分析をする必要を感じています。

つまり、簡単に言うと成功体験に導くまでの時間が短くなり、心理的なきっかけを掴む(パラダイムシフトをする)お手伝いの質が上がったということです。これは、直接的な場合でも第三者を介した間接的な場合でも同様の傾向があります。

そういった中で向き合う方の中には、本来あるべきところよりも自己評価が低いところにある場合が結構あってですね、きっかけを掴んで今まで夢見た幸せが手の届くところに来ると、その幸せをイソップ童話の「きつねとブドウ」みたいに「あのブドウはきっと酸っぱいに違いない」って言って拒絶するんですよね。

有難いことに僕の指導などの僕と関わる時間をとてもポジティブに捉えてくれる場合だったりすると、僕が拒絶されるときがあるんですよね。その時にはだいたい心を引っ掻かれるんですよね。傷ついている心は木材のささくれと一緒で、傷ついているからこそ、それで他者を傷つけるわけです。

どうしようかなって思ってるんです。

うちのプログラムに参加してポジティブなエネルギーを受け取った人が、そのポジティブエネルギーを使って目の前の幸せを拒絶する。僕が傷つく分には飲んでる薬の衝動過食の調整をするだけなので別にいいんですが、そういう場面に立ち会うのは構造がわかる分、結構辛かったりします。

このチェンソーマンもぼっち・ざ・ろっくもどちらも、本来あるべきところよりも低いところに自己評価を持っている主人公が登場します。そして、その低い自己評価は間違いなく環境や他者によってつくられています。その中で自己の欲求と向き合う姿がリアルだからこそ、どちらも世間に評価されているのかと思います。

僕にとって作品を観たり読んだりすることは、その奥にある作者という人間に出会う時間だったりするのですが、しばらくこの2作品は考えていくことになりそうです。

幸せ恐怖症について詳しく知りたい人はラジオ人生相談で有名な加藤諦三さんの著書がわかりやすくておすすめです。

 

外部リンク

69号室の住人【Guest】ぼっち・ざ・ろっく!特集(瀬古口拓也、岡村弦、三井律郎、ピエール中野)(2023年2月14日放送)期間限定見逃し配信 – YouTube

この記事を書いた人

橋本 大佑(はしもと だいすけ)
筑波大学で障害児教育を学んだ後、渡独して現地日系企業(THK株式会社)に勤めながら障害者スポーツを学ぶ。2009年に帰国し、障害者の社会参加を促進するためのスポーツを活用した事業を実施。2016年より現職。国内外で共生社会や障害者スポーツ指導者養成に関わる講習を行う。また共生社会の実現に向けて企業を対象としたセミナーやコンサルタントも行う。
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