by QUIs(くいず)
ふうせんバレーボールと考案者への想い
いつもコ・イノベーション研究所のブログをご覧いただきありがとうございます。
本日の内容は代表・橋本のfacebookからの引用になります。
2009年に日本に帰国して、僕とふうせんバレーボールをつなげてくれたのが、考案者でもある荒川孝一さんでした。
ふうせんバレーボールの考案者でもありますが、北九州市で初めての自立生活センターの立ち上げに関わった障害者運動の当事者でもありました。
当時の僕はふうせんバレーボールを国内外に広める活動をしており、2017年2月には日本スポーツ振興センターの再委託事業でブラジル、パラグアイでふうせんバレーボールを紹介することができました。地球の裏側まで普及に行ったので墓前に報告に行ったのが5年前の今日です。
2009年に知り合ったときには筋ジストロフィーの末期で、舌と人差し指とまぶたが動くくらいの状態でしたが、毎晩のようにSkypeで議論をしましたし、大牟田市にある病院にも亡くなるまでに10回訪問しました。
僕は荒川さんを見て「不幸だ」と思ったことはなくて、年も2周りは離れていましたが本当に対等に意見をぶつけ合いましたし、日本に帰国した時期に一番話をした一人でもあります。
荒川さんが考案したふうせんバレーボールに何故、あんなに大きく直感的に心を動かされたかが知りたくて、2012年に1989年当時にふうせんバレーボールを考案した荒川さんのお友達10名以上を訪ね、当時の話を聞く機会がありました。そのときの話はいつか公に出来ればとは感じていますが、荒川さんと出会い、たくさんのお話をした経験は僕の中に今も生きていると感じています。
寒暖定まらぬ時期ですので、皆様方のご無事息災を心よりお祈りいたします。