一般社団法人 コ・イノベーション研究所

各種お問い合わせはこちらから

お問い合わせ お問い合わせ
お問い合わせ

by 橋本 大佑(はしもと だいすけ)

お誕生日のメッセージありがとうございます

今日は誕生日ということで、たくさんの方からメッセージをいただいてうれしい限りです。いつもは時事ネタやレビューなどをしていますが、今日は自分のことを書いてみようと思います。今日はすごい個人的なことを書きます。

リンクした本は「なぜこんなに生きにくいのか」という結構きつめのタイトルの本ですが、著者は南直哉(じきさい)さんと言います。曹洞宗のお坊さんで福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代を務めています。

僕にとっては共感する人でもありますし、こんな人になれたらと最も憧れている方です。

リンクした本は、人と向き合う仕事をしている人にはぜひ読んでもらいたい本ですが、前文だけかいつまんで紹介します。

〇生きることが素晴らしい人と思える人は仏教のメインターゲットではないでしょう。仏教のメインターゲットとなるのは生きることが苦しい人、この世を生きがたいと感じている人でしょう。仏教の開祖・釈尊がそうであり、私が属する日本曹洞宗の開祖・道元禅師がそうでした。

〇高校生でキリスト教に触れ、その後哲学書を乱読しては、自分の生きがたい感情を説明する言葉を求め続けました。その果てに釈尊の言葉、道元禅師の言葉にたどり着きました。最終的には修行する道を選び、出家することにしたのです。

ですから、私は人の役に立ちたくて出家したわけではありません。自分の中でいかんともしがたい問題があったから、仏門に入ったのです。

〇出家して人生の問題がすべて解消されたわけではありません。しかし、だからこそ、「生きがたい」という人を見ると、ほとんど本能的に共感するのです。悩んだり、引きこもったり、リストカットしたり、時には凶行に及ばざるを得ないような人に、強い親近感を持つのです。

これ、僕も実はそうで、自分の中にある何とも解決しがたい問題を解決できないかと若いころは特に言葉を探して本を読み漁っていました。

その中で仏教書が助けになると感じたことももちろんありますので、ドイツに行ってそれまで自分が持っていた常識という枠を壊してもらう体験をしてなければ出家してたかも、と思い返すことはあります。

そういった自己の内部にある問題と向き合う手法として教育学や、共感の対象としての障害というものを考え続けてきました。ですので、今も昔も、「障害者のために」とか「社会のために」と考えたことはほとんどありません。南直哉さんと似ているというとおこがましいですが、そういった作業を繰り返してきた結果、目の前にいる人が感じている(場合によってはその人も自覚していない)生きづらさのようなものを直感的に感じて、共感できるようになりました。

共感した後にやっていることもシンプルで、時には車いす指導やスポーツ指導と言うツールを使いますが、基本的にその人が内的に抱える「生きづらさ」や「生きにくさ」、そして「不安」を正面から見て共有するということをやっています。それが、結構心理的にポジティブな効果につながるのは、現代において、内面を真っすぐ見てもらう機会自体が減っているのかなという風にも感じます。

なので、今後もこのスキルを磨きながらより多くの方と関われるようになればと思っています。

去年、僕は障害受容を経験して、チック症状と闘いながら半日かけてやったのですが、それを心療内科の先生に見てもらったら、「通常はカウンセラーと1年以上かけても達成できないことを橋本さんが半日でやったのは才能ですよ」と言われました。「じゃあ、自分の経験を元に他者にもカウンセリングができるということですか」と聞いたら「そう思います」と言われましたので、自己が認識できない内的な課題にともに向き合うというのはそれなりのスキルとして自分の中にあるのだと思います。

共感するには自分の体験が重要で、いろんな体験、特に辛い体験をしていると、共感できる対象が増えます。障害受容をするまでは、自分がつらい体験をすること自体を割とポジティブに捉えていました。「立場を共感できる対象が拡大する」からです。

有難いことに、そういった経験も踏まえて、僕と会って話すことがきっかけで、自己の内的な問題と向き合って(もしくは障害のあることも含めた自己と向き合って)前向きになりました、とか、障害受傷してから一番ハッピーですと言ってくれる方が少なからずいます。

それは僕にとっても大きな幸せではあるのですが、僕の内的な問題に向き合って僕をハッピーにしてくれる人、マジで必要だなとこの1年ずっと思っています。わかりやすく言うと、ジャムおじさんがいないアンパンマンみたいな状態だと思っています。僕はアニメや特撮、SFは大変好きですが、最強のヒーローって聞かれると迷わずアンパンマンと答えます。自分の顔を笑顔で渡して相手の一次的な欲求を満たすって最強ですよね。ただ、渡しすぎて顔が小さくなると力はでなくなるわけです。アニメではそこでジャムおじさんが新しい顔を焼き、バタコさんが届けます。ありがたいことにバタコさんのような立場でいてくれる方は何名かいるのですが、ジャムおじさんがいないなということで、それは大きな大きな今年のチャレンジです。

2009年に日本に帰ってきてから約12年、プライベートなこと、いわゆる普通の暮らしというものは全て犠牲にして、今日の状況を僕は創り上げてきました。仲間と顧客と社会情勢も含めて運に恵まれました。今の知識を持って12年前に戻っても今以上の状況は作れない自信がありますので、この12年間の生き方それ自体は後悔はしていないです。

昨年までであれば、この43歳の誕生日を自宅で一人過ごす孤独はそんなに大きな精神的な負荷にはなりませんでした。低い自己評価を満たすために、社会的な評価を作ることが優先されていました。しかし、障害受容後人間としての感情が戻ってきたので、今年一人で過ごす誕生日は結構心に堪えます。

仏教における苦とは「思うようにならないこと」で四苦八苦と言われるように様々な苦があります。一つの苦に折り合いをつけると次の苦と向き合う必要があります。おかげさまで今の会社を立ち上げてやってきたことは外部からも少しずつ評価されてきました。しかし、自己存在肯定における空虚感は仕事で埋められるものでもないですし、埋めるべきものではありません。

だから来年は、同じ状況じゃないように頑張りたいなと思います。

全然個人的な話になってしまいましたが、引き続き皆様のご指導ご鞭撻のほどお願いします。

 

外部リンク

なぜこんなに生きにくいのか | 南 直哉 |本 | 通販 | Amazon

この記事を書いた人

橋本 大佑(はしもと だいすけ)
筑波大学で障害児教育を学んだ後、渡独して現地日系企業(THK株式会社)に勤めながら障害者スポーツを学ぶ。2009年に帰国し、障害者の社会参加を促進するためのスポーツを活用した事業を実施。2016年より現職。国内外で共生社会や障害者スポーツ指導者養成に関わる講習を行う。また共生社会の実現に向けて企業を対象としたセミナーやコンサルタントも行う。
戻る