ここ数年でいちばん心に刺さった小説の映画化について
映画に関する記事の内容が醜悪すぎて…。
何度かFacebook投稿でも紹介していますが、朝井リョウの小説『正欲』はここ数年で一番心に刺さった本です。
この小説が映画化されるという話を去年聞いた時に「大丈夫?」と思ったんですね。朝井リョウ原作の映画で有名なのは2012年公開の『桐島、部活辞めるってよ』(監督 吉田大八)ですが、この映画はすごくよかったです。
もちろん原作は小説なので登場人物の心情描写や、心情を象徴する背景描写などが多用されているため、こちらは登場人物を推察、共感しながら作品に入っていけます。
でも同じ手法を映像作品でやってしまうと、くどい演出となってしまいます。最低限のセリフだけを登場人物に語らせ、余白を上手く活用することで、この映画は原作が伝えようとしていたことを映画ならではの手法で伝えられていたと思います。引きの画を多用していて、空間的にも余白があるので観客が無意識に余白を埋めようと登場人物やそのおかれた状況を推察することができました。群像劇の映像化の一つの答えを観た感じがしました。
予告編のリンクですが、登場人物がアップになるときは大体黙っていて、話すときは引きの画になります。これを徹底しているので最後のシーンでアップで感情を爆発させるところが印象的になります。
(外部リンク)
映画『桐島、部活やめるってよ』予告編 – YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KjjG0WTQ6C4
話は元に戻りますが『正欲』の予告編、真逆です。登場人物はアップの時に話しています。嫌な感じです。
(外部リンク)
映画『正欲』公式サイト
https://bitters.co.jp/seiyoku/
文春オンライン
「水飛沫に性的興奮を…」清純派女優だった新垣結衣、過激すぎるイメチェンの背景とは
https://bunshun.jp/articles/-/65970
予告編の最後には「正欲」の文字に「(ab)normal desire」という英単語が添えられています。これがもう正直結構「こんな理解度で映画作ってんの?」と思うような内容です。
リンクした文春の記事もそうです。記事のタイトルは『「水飛沫に性的興奮を…」清純派女優だった新垣結衣、過激すぎるイメチェンの背景とは』であり、記事中には新垣結衣が演じる登場人物について下記のような説明があります(以下、引用)
『この「特殊な性癖」というのが――。「“水飛沫にしか性的興奮を感じられない。蛇口から吹き出す水に手を当てて形を変えることでしか性的な欲求を満たせない”というものなのです。当然、新垣がこうした役を演じるというのは話題性抜群です。ただ、難しい役どころであると同時に、多様性を問うこの作品においては重要な役。加えて、これまで新垣の演じてきた役とは印象が全く異なります」』(引用ここまで)
正欲という言葉は性欲と同じ読みです。そのため、登場人物の特殊な嗜好性を「普通とは異なる性欲」と解釈しているのかと思います。
でも正欲はそんなにシンプルな性的指向の話ではなくて、おいしいものを食べることにも、異性を含めて人と交わることにも、何をしても生きている実感がしない。欲がないから生きている実感もないし、明日も、その次の日も生きていこうという欲求もない。それが「自分のことを普通」と思って生きている多数派の人たちと共通していないこともわかっており、仕事をしたり、学校に行ったりして人とは関わっているけども、世の中から自分が切り離されている絶望はある、という登場人物たちが、勢いよく形を変えながら噴き出す水を見たときに生きる実感を感じられるという話で、全然性的な嗜好の話ではないのです。
「自己の中の異常性(自分にとっては当たり前だが他社からは異常と言われるだろうと恐怖感を感じているもの)は、誰かに話しても絶対に理解されない」と絶望したり、諦めたりしている人は世の中にたくさんいるはずで、その異常性を「噴き出す水」に例えているだけで、これは全く性欲の話ではないのです。
2023年11月10日公開ですが、たぶん観に行かないと思います。万が一、世間の評価が高かった時には手のひら返して観に行きますが。