精神障害者手帳を取得しました
精神障害者手帳を取得しました
突然の投稿で驚かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、今年、精神障害者手帳を取得しました。
疾患としてはADHD(注意欠陥多動性障害)及びそれに伴う不安障害です。
数年前から原因不明の体の不調があり、仕事のケアレスミスが増えたり、集中力が続かなかったり、疲れやすかったりといった症状がありました。肥満体型でもあり、あまり健康的な状態でもなかったので、いろいろと調べたのですが、特に原因がわからず、最終的に心療内科を受診して生育歴のヒアリングを受けて、昨年ADHDの診断を受けました。傾向としては不注意はあるけど、多動はない(但し頭の中は多動)状況です。原因がわからない不調が続いたことにより若干の不安障害もあるということで、手帳の申請をし、3級で交付を受けました。
個人的には、長く感じていた不調の原因がわかったことで本当に楽にもなりましたし、昔から感じていた生きづらさのようなものの正体もわかって安心もしました。何より、整理整頓や掃除、マルチタスクでのスケジュール管理などができないことは、周囲の人から本当に強く指摘をされて、自分の努力不足が原因だと自己評価を下げてしまうことも多かったです。ただ、今回の診断で、それがADHDによる脳内のドーパミンやノルアドレナリンの機能低下が問題であるとわかったことは心から救われました。
現在は社内でもサポート体制がしっかりとでき、基本的にはこれまでと変わらず、というよりはサポート体制ができた分、これまでよりもよい状況で対応ができると考えています。実際に、一時期は集中力低下などで若干不安定な部分もあったのですが、社内外の多くの支援や理解もあり、苦手な仕事を分担し、できることに注力できるようになったことで、かなり不調を感じる前の状態に戻ってきた感覚もあります。本当に周囲の皆様には感謝しかありません。
障害者スポーツに関わり始めて20年が経つ中で、長らく障害は他人事ではないと感じてきましたが、自分が先天性の発達障害ということでやはり他人事ではなかったなと言う感じです。
この投稿を読まれた方で、「え、全然そんな風に見えません」と感じた方は是非「現代思想2021年11月号 特集=ルッキズムを考える」の中の『「障害があるように見えない」がもつ暴力性――ルッキズムと障害者差別が連動するとき / 飯野由里子(http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3618)』をご一読ください。その感覚の背景には、「障害があるかどうかは見た目で判断できる」、「普通の見た目だから特別な支援は必要はない」などの思い込みがあるかもしれません。
(以下一部引用)
・「障害があるように見えない」という言明は、「だから何の問題も生じていないはずだ」とか、「だから特別なことをしてあげる必要はないはずだ」と言った形で、自分が直面している困難やそれによって生じているニーズを過小評価したり否定したりする機能を持つため厄介である。
ここ最近、毎日Facebookはアップしていましたが、今日から何日かはこの件に関連して僕が自己の発達障害と向き合って考えたことについて投稿をしようかと思います。