JICA課題別研修7日目レポート
こんにちは。インターン生の山崎です。
JICA課題別研修7日目の内容を掲載させて頂きます。当日は同志社大学スポーツ健康科学部の河西正博助教にご講演頂き、障害に纏わる障壁について理解を深めていきました。
障害の社会モデル
午前中は「障害の社会モデル」をテーマにご講演頂きました。河西さんは障害をもたない立場で、車いすバスケを20年以上行っているそうです。
ものさしを疑ってみる
~鳥社会だったら?手話が公用語の社会だったら?~
私たち人間社会では歩くことができる(=健常者)↔歩くことができない(=障害者)と一般的に定義されます。しかし、これは飛ぶことが当たり前とされる鳥社会、公用語が手話であるヴィンヤード島などでも同様にいえるか。これらの例は、私たち人間社会にある「ろう者=障害者」という定義が成立しない社会だといいます。
このように、誰が障害者であり誰がそうでないかは、所属しているグループ、社会によって異なり、一概に障害が特定の他者を指すものとして定義できないことを学びました。
障害の社会モデル
「障害」の概念は、心身に障害があること、またその人を意味します。
これに伴い、現代社会では障害は個人の責任であるとし、障害の克服、軽減を目指し努力することが求められているのが現状だそうです。
しかし、本来障害は、周囲の環境によって決定されるものです。そのため、社会的障壁を克服するためには、周囲の人々や環境、社会全体が変わっていく必要性があります。よって私たちは社会的障壁を解消するため、個人モデルと社会モデル双方の視点で向き合っていく必要があることを学びました。
合理的配慮
では、社会的対応を達成させるにはどうすれば良いか。河西さんによると、ルーティン化したサービスを機械的に与えるのではなく、その人に応じた対応が必要だそうです。特定の社会に存在するルールに従うだけでなく、「ものさしを疑う」ことで、個別対応を行う。そのために、障害当事者と事業者が対話を重ねともに解決策を検討することが重要だと学びました。
エイブリズム
しかし、社会的障壁の解消は容易なものではありません。その要因に、「能力主義」の考え方が挙げられます。能力主義(エイブリズム)とは、能力のある人を優れているとし、能力や成果のみで個人を評価する考え方です。誰にとっても目に見える差別は法律やルールである程度解決できます。私たちはむしろ、そこから外れた無意識のうちに広がった意識をいかに変えていくことができるかが問われていると仰っていました。
カザフスタンや南スーダンの参加者によると、他国では車いす利用者も普通学校に通っているケースが一般的だそうです。これを受け、未だ普通学校/特別支援学校の線引きがなされている日本のインクルーシブ教育の問題性を痛感しました。
私たちは「障害=できない」とするのではなく、むしろ心身が不自由だからという理由で「できなくさせられている」可能性に目を向けるべきだと教えて頂きました。
パラリンピックにおける共生社会のあり方
午後は午前学んだ考え方を踏まえ、パラリンピックにおける共生社会のあり方についてご講義頂きました。
パラリンピックは、元々リハビリテーションの成果を発揮する機会とされていたそうです。
日本代表も大多数が病院やリハビリ施設の入院患者であった事実に驚かされました。
パラリンピックにおける勝利至上主義化とその弊害
障害者スポーツとは、例えば、バスケ=健常者、車いすバスケ=障害者ではなく、誰もがその競技を楽しむ機会をもつためにあります。人が決められたルールに合わせるのではなく、様々な文化的背景をもつ者に”ルールを合わせる”こと、つまりアダプテッドスポーツの考え方が浸透しているそうです。
パラリンピックと共生社会
日本では東京オリンピック・パラリンピック開催に伴い、レガシーとして「I’m possible」という国際パラリンピック委員会(IPC)が開発した教育教材があるそうです。
「パラリンピックは、さまざまな人々がこの社会にいるという至極当たり前で見過ごされやすい事実に気付かせる良い舞台でもある」と述べられています。しかし、これは同時に、パラリンピック選手を健常者になれない障害者やスポーツから排除の構造に組み込み、エゴイズムをサポートしてしまう恐れもあるといいます。
パラリンピックが差別を助長する場としてではなく、共生社会に寄与する舞台となれることを強く考える講義時間でした。